Part.1
下積み時代があって今がある

司会最初に、皆さんがNRI認定者に認定されるまでの経緯を教えていただけますか?

南側全員きっと最初の2〜3年間は下積み時代だったと思います。ですよね?(笑)。ただ、これを読んでいる人に誤解してほしくないのは、下積みといっても、当時から仕事の醍醐味をビンビン感じていた、ということ。例えば私の場合、入社して間もない2001年にニューヨークで同時多発テロ事件がありました。その時、日本の金融機関にも大きな影響がありました。大手証券会社の役員の方々や部長の方々が、社運をかけて必死に証券の注文を出そうとしている…。そんな顧客の状況を目の当たりにしながら、業務やシステムの対応を行い、確かに今自分たちは顧客のビジネスに関わっているんだ、という実感がありました。何しろ顧客との距離が近いので、自分の実施した仕事の手応えを常に感じることができていたと思います。

八木最初から、いろいろな人と密接にコミュニケーションをとりながら仕事はしていましたね。顧客のところに頻繁に行っているからこそ、顧客の生の声を聞くことが当たり前のことでしたし、それが良い刺激になっていたと思います。

大久保段々とNRIのシステムが、「顧客のどういった業務で、どういった使われ方をしているのか、どういった効果があるのか?」が分かってきました。時にはシステム障害の対応ではなく、顧客からのクレーム対応もしていたので、大変だったことも事実ですが、その次のステップに上がるためには不可欠な経験だったと思います。

司会その次のステップということですが、
その後はどういった仕事をしていったのでしょうか?

小宮私の場合は4年目で海外に転勤する機会をもらいました。海外でのプロジェクトは国内の大手証券会社向けのものと比較して小規模ですから、証券会社の仕組みをつくるにしても、全体を広く見ることができました。それと同時に、さまざまなバックグラウンドの異なる外国の方とプロジェクトを実施することもあり、組織としてのマネジメントを求められました。この経験によって、プロジェクトマネジメント力が身についたと思います。おおよそ5〜6年間こういった経験をして日本に戻りました。最初の3年で得た基礎力と、その後に得た幅広い業務知識とマネジメントスキルを応用しながら、その後はどんどんさまざまなプロジェクトに参画した。そんな感じですね。

南側NRIは3〜4年目あたりから、裁量がどんどん大きくなっていきます。プロジェクトの規模やメンバーの数など、新聞紙面を賑わしている金額に驚かなくなるくらいの予算がついたプロジェクトを担当する人もいます。私も20代後半になると数十人のチームを統括しプロジェクトを推進していましたから、当時は「オレって偉くなったのかも?」って勘違いしたくらいですよ(笑)もちろん、役割の話だけですけれど(笑)。

八木確かに下積みの次には「任される時代」に入りますね。私の場合は、規模というよりは、担当していた顧客がとにかくチャレンジ精神が高い方々だったので、「日本ではじめての〜」というチャレンジ要素の大きいプロジェクトばかりに携わっていたように思います。何しろ初めてのことばかりだったので、正直キツいな、と思ったことは一度や二度ではありませんでしたが、そういった中で、顧客とのコミュニケーションの取り方とか、パートナー企業さんとの関わり方を学んでいくことができました。今思えば、そういうチャレンジ精神が高い顧客を相手にすることができて、恵まれていたな、と思います。

小宮20代後半から30半ばくらいは、裁量が増えて、顧客、技術、メンバー(人)、お金とか、どんどん任されていくから、責任感も出てくるし、同時にやり甲斐も出てきて、一番楽しい時期なのかも知れません。

司会そうした経験を経て、NRI認定者になるわけですね。
NRI認定者はどうすればなれるのですか?

大久保NRI認定者は、NRIが認めるプロフェッショナル、つまりある一定以上の規模や難易度の仕事を「やりきった」という証です。まず、そうした実績を踏まえて社内から推薦される必要があります。その後、規定の関門を乗り越えると認定を受けることができます。期限は3年間です。ただし、簡単ではありませんよ(笑)。

八木そうですね。認定の社内選考はかなり大変でしたね。そういえば、南側さんは2つ認定を受けていましたよね?

南側最初にPM(プロジェクトマネージャ)の認定を受けて、その後にBD(ビジネスディベロッパー)の認定を受けました。システム開発の現場から、新しいビジネスをつくりあげていく仕事に変わったので、仕事の内容というか専門性が変わりました。